遠野市指定無形文化財 青笹町しし踊り保存会
岩手県指定無形文化財
国選択無形民俗文化財






 天神の山には祭りありて獅子踊りあり。

 こゝにのみは軽く麈たち、紅き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。

 笛の調子高く歌は低くして、そばにあれども聞き難し、

 日は傾きて風吹き酔いて人呼ぶ者の声もさびしく女は笑い、

 児は走れども、なお旅愁をいかんともするあたわざるき。

                    (遠野物語 柳田国男序文より)



「青笹しし踊り」の歴史

 青笹しし踊りは、1700年代はじめの頃、「踊り嘉兵ヱ」という人物に
よって伝えられたといわれている。
 (「踊り嘉兵ヱ」の墓は土淵町飯豊にあり、現在では、毎年11月
23日に墓前で踊り供養をし、踊り納めとしている。) 

 昭和39年に、青笹地区の「糠前」「中下」「中沢」の三集落で継承
されていた3つのしし踊りが統合して、現在の「青笹しし踊り」となり、
昭和40年に「青笹町しし踊り保存会」が結成された。

 統合された昭和39年に遠野市指定無形文化財となり、昭和
49年には、岩手県から無形文化財の指定を受けた。
  昭和53年には、文化庁から「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として選択され、昭和
 55年に記録映像の収録が行われ、記念誌「遠野郷青笹しし踊り」が発行された。

 青笹小学校・中学校では、昭和42年から伝統芸能の継承活動として「青笹しし踊り」の学習を取り入れ、
保存会の指導を受けながら、運動会や遠野まつりなどで練習の成果を披露している。
 また、青笹保育園でも10年以上にわたってしし踊りの学習を取り入れるなど、地域をあげた伝承活動を
行っている。

 現在に至るまで、遠野まつりなど市内の祭典のほか、県内外のさまざまな祭典、大阪万博、国体など
数多くのイベントに出演している。また、地域の結婚披露宴、新築祝いなどでも踊りを披露している。



しし踊りの特色

 遠野郷のしし踊りは、遠野郷阿曾沼氏時代に伝来した鹿踊り・農民
の豊年踊り・神楽の山神踊りの3つが合体したものといわれている。

 遠野郷三山といわれる早池峰山・六角牛山・石上山の山霊を思わ
せる威容の「しし」が、「かんながら」を頭上から垂らし、体を被う前幕
を手で揺り動かして踊る幕踊り系のしし踊りとなっている。
 また「しし」は、先端にヤマドリの羽を飾った腰差しをつける。

カンナガラ:ドロの木を板目に沿って、磨き抜かれたかんなで白く細長く削りとったもの

  また、「しし」以外の踊り手として、「刀かけ」、「中太鼓」、「子踊り」、
                       「種ふくべ」がある。 

  「刀かけ」は扇で踊る場合と、幕を揺らして挑みかかる「しし」に立ち向かうように、刀を抜いて踊る場合
 とがある。
  「中太鼓」は、竹に紅白の紙を巻きフサと鈴をつけた「フリキ」を両手に持ち、「子踊り」は、「ふくべ」
 (こけし状の棒)を持って踊る。「種ふくべ」は、本物のふくべ(ひょうたん)をつけ、踊りの先頭に立つ。

  囃子方は、笛と太鼓の太夫で構成され、太鼓の打ち方の一人が、囃子方の中心である「バチ上げ」と
 なり、全体の統率及び拍子合わせの上で重要な役割をなしている。

  現在、保存会で演じられている演目は、 《庭ほめ〜膝立入端(いれは)〜山神入端〜廻り入端〜
 化粧踊り〜柱がかり〜小切(こぎり)〜大切(おおぎり)〜引端(ひきは)》 の一連の流れとなっている。

  訪れた場所を祝福する踊りである『庭ほめ』ののち、『膝立(ひざたて)・山神(やまのかみ)・廻り入端』
 では、「しし」と「刀かけ」が組になって踊る。


  「しし」以外の踊り手による躍動感あふれる『化粧踊り』のあと、
 「種ふくべ」と「しし」による『柱がかり』が行われる。
  作物を荒らす「しし」を人間が追い払う様が表現され、五穀豊穣
 を祈願する踊りとなっている。

  豊年踊りの変形とみられる華やかな『小切』、感謝の気持ちを
 表す『大切』のあと、退場の踊りである『引端』を、「しし」が勇壮に
 踊る。  
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送